迷宮(ラビリンス)から始まる雷霆の一日



碧谷(へきや) 明(あかる)

 
 
「ふわッ……ぁあ〜〜」
 雲母の南の楽園(パラダイス)のそのまた南に位置し、雲母を取り囲むように存在する結界に接する迷宮。その迷宮の中でも最南端、つまり最も結界に近い局で、雷霆は常の如く朝を迎えた。とはいっても宵っぱりな雷霆のこと、既に日も傾きつつあったのだが。

 ばさッ!
 ガン!
 ガラガラどしゃん!!

 大きく伸びをするついでに翼も伸ばすと、其所此処に並べられた雷霆の宝物(ガラクタ)の数々が地響きを立てて崩れ落ちた。中には、先日の騒動に発端となったブツも混じっている。
「あ〜ぁ……そろそろ此処も増築せんといかんなァ……」
 燦々たる有り様に、雷霆は溜め息混じりにそう呟いた。といって格別何をするという訳でもなく。
「ま、そのうちまたあの南のヤツと取引でもすりゃいいか」
 そう吐き捨てると、雷霆は窓の外へと飛び出して行ったのだった――
 
 
 
 
「ひゃあ、雷霆さま、おはようござんす」
 いきなり隠し扉から飛込んできた雷霆に、これでもかと着飾った女が、しゃなり、と気取って声をかける。が、その言の葉ほど驚いている様子はない。
「おぅ、太夫、いつも悪ィな」
 にやり、と口許に笑みを掃く雷霆に、女は柄にもなく頬を染めた。
「なんだなんだ、楽園一と歌われる松屋の芙曄(ふよう)太夫が生娘みたいに……」
 そう、此処は、楽園。日常に疲れた男共が着飾った花魁達相手に浮世のウサを晴らす、場所。芙曄はその中でも頂点を極める「太夫」なのだ。
「いややわぁあちきの心、知っておりなんすくせに……恥ずかしゅうありんす〜」
「……俺にまで商売しなくてもいいんだぜ?」
 分かっているようで分かっていない雷霆が苦笑を漏らす。
「手練(てれん)ではありんせんのに……」
 いつもいつもそないにかわしんすのなァ、と芙曄は残念そうに溜め息をつき、雷霆はというと、まァそうしょげるな、と口付けたのだった――
 
 
 
 
「さて……黒鳳蝶(くろあげは)ンとこにでも行ってみるか……」
 芙曄と戯れたまさにその足で、雷霆は雲母を北上していく。目指すは六条、黒鳳蝶の瑠璃華が住まう、場所。かつて、目をつけ、常に、気にかけてきた。今はまだ、少しちょっかいを出す程度。その位で構わない。少しずつ、時間をかけて……幸いにして、時間ならいくらでもあるのだから――
「……ぉ? なんだ、今日は居ねェのか……」
 到着してみると、そこは蛻(もぬけ)の空だった。
「このまま待ち惚けンのも馬鹿らしいし……かといってアテもなく探し回って見付かるモンでもねェし……」
 さて、どうしたもんか……と、雷霆が腕を組んだ、丁度その時。

 がたたッ!!

 不意に、物陰で何かが崩れるような、音。実際、視界の隅で何かが動いた。見えたわけではないが瑠璃華の気配がする――ような気がする。

 すたすたすたすたすたすた……

 ガタタッ!!

「…………………………」
 近付いてみると、明らかにこちらの動きを意識している。どうやら無駄足にならずに済んだようだと、雷霆は一匹(ひとり)ほくそ笑んだ。そして――

 ドンガラガッシャ〜ン!!!!

「「「うわっ!!?」」」
 雷霆はその物陰へ突如、霹靂を放った。隠れていた者達は慌てて跳び退く。
「よぅ、黒鳳蝶の。隠れんぼか?」
 にやり、と口許に笑みを掃いて宣われた言の葉に、渋々、といった風情で瑠璃華が姿を現す。
「………………で? 一体何の用だい、疾黒(しっこく)の?」
 不機嫌そうに投げられた言の葉に、心なし雷霆は嬉しそうに口許を歪め……
「別にぃ〜? 俺はただ通りかかっただけだが? 天下の往来、まさか渡るなってェ訳じゃああるまい?」
「……ッ誰もそんな言霊吐いてないだろッ!?」
 返された言霊に、瑠璃華は我知らず唇を噛み締めた。
「あ〜あ、雷霆サンってば、また、やってるよ……」
「にゃ〜〜・」
「そうですね、当分終わりそうにないですし、何か甘いモノでも食べに行きましょうか、玻璃音サン♪」
「にゃんっ♪」
 雷霆と瑠璃華の(一方的な)じゃれあいにヤレヤレと溜め息をついて、浅葱と玻璃音はその場を離れようとした。が。
「あぁ、もぅ! 用もなくただ通りすがっただけってのなら、サッサと行っちまいな!!」
 いい加減絡まれるのに業を煮やした瑠璃華に叫ばれ、つれねェなァと苦笑しつつも雷霆はあっさりと引き下がったのだった。
 
 
 
 
「さて……そろそろいい時間帯だし、いつも通りタダ酒でも呑みに行くか……」
 瑠璃華達と分かれ、一匹歩を進めていた雷霆は、あたかも尾行を巻くかのごとく突然、バサリ、と翼を広げ、ふわり、と翔びたっていった。
「あ〜〜っ! また逃げられた〜〜ッ!!」
 実際、その界隈に住むガキが毎度毎度つけてきていたのではあるが。
「チェッ、今度こそ疾黒の雷霆が何処で何してんのか突き止めて弟子にしてもらおうと思ったのになァ……」
 ぶつくさと愚痴る少年を尻目に、雷霆は空から一路、内裏へと向かったのだった。
 
 
 
 
「ぃよぅ! 雷霄(らいしょう)! 酒あるか?」
 雷の間にて開口一番にそう告げられ、さしもの霸霧帝(はくむてい)も苦笑を隠せなかった。
「兄上……もう少し他に言霊の使い様というものがありましょう?」
「その割にお前は気にしてねェみたいじゃねェか?」
 ニヤリ、と口許に笑みを掃いて返された言の葉に、霸霧帝は瓶子を手渡しながら軽く笑みを漏らした。
「私はね。いい加減慣れもしました。しかし皆が皆そうではありませんから……肝を潰す者が居てはたまりませんよ」
 瓶子を受け取った雷霆がそのまま直接口をつけて呷るのもまたいつもの風景。慣れれば確かにどうということもない……のかもしれないが。
「フ……ン、その程度で腰抜かすようじゃ到底宮仕えは無理だろうが? 相ッ変わらずお前の回りは甘ったればっかだなあ」
 そう、笑われ、肩をすくめて気が済んだら見つからないうちに帰って下さいよと釘を刺して立ち去った霸霧帝に、雷霆は言霊を放ちすぎたかと独り言ちるのだった。


「雷霆殿? このような所で一体何をしておいでなのです?」
 そう、言の葉を投げかけてきたのは、漆黒の髪を持つ東宮傅(とうぐうふ)、夜半(よわ)の君。国母たる散葉姫の兄にして左大臣の第一子、つまり妖狐族なのだが、とにかく真面目で、雷霆にとっては格好のからかい相手である。
「ンだよンなモン見りゃ分かるだろ〜が。お前こそこんなトコで何やってんだ?」
 ニヤリ、と口許に笑みを刷いて見せる雷霆に、夜半の君は眉根を寄せる。
「誰も居ない筈の場所に何らかの気配を感じれば、様子を見に来るのは当然だと思いますが?」
「ンなモン俺が居るからに決まってンだろ〜が。それともなにか、昨今の近衛の連中は根性ナシ揃いで、東宮傅ともあろうお方がわざわざ見回りなんて真似しなきゃなんねェとか?」
 明らかに邪揄混じりに吐かれた言霊など聞き流してしまえば良いのだが、夜半の君では性格上、そうもいかず……
「誰も近衛が無能とは言っていないでしょう!? それどころかひどく優秀ですよ! 大体近衛など居ても居ないように毎日忍び込んで来るのは雷霆殿ではありませんか! 一体誰のせいで近衛府の者達が自信喪失していると思ってらっしゃるんです!? 第一、『不審な気配』がもし雷霆殿ではなかったら、それをみすみす見逃してしまったら、それこそ一大事ではないですか!!」
 夜半の君は一気に捲し立て、その為、酸欠でくらりと蹌踉めいた。
「お……ッと……アブねェなァ……ちッと落ち着けって」
「だ……ッ……誰の……ッ……せいだと……ッ……!!!」
「あ〜はいはい分かったからとりあえず休め?」
 すかさず受け止めて苦笑する雷霆に、夜半の君はか細い息の間にも拘らず反論を試みる。が、全く相手にされず、あまつさえ抱え上げられ、雷の間に運び込まれる羽目になってしまおうとしていた。
「何処に触れたか分からないような汚い手で兄上に触らないで頂けます? あまつさえ酒臭いとは……あぁ汚らわしい」
 思いッきり顔をしかめながら雷霆を突き飛ばすようにして夜半の君を救い出した(?)のは東宮大夫・有明の君。これがまた実に兄想い(ブラ・コン)で、しかも性格は正反対、雷霆にとっては少々苦手な相手でもある。
「俺は倒れ込もうとしてたそいつを、こんなトコで倒れてんのもアレだろうと思って運び込んでやってたんだがな〜お礼言われるならともかく、兄上想いの誰かさんに突き飛ばされるとは思ってもみなかったな〜」
「おや、そうですか? しかしこの辺りならば誰ぞ通ることもありませんし、兄上に何かありましたら私がすぐに気付きますから、そのようなお気遣いは無用ですよ?」
 反論を試みた雷霆に、有明の君はにっこりと言霊を返す。表面上どんなに穏やかに見えても、兄をかばい雷霆に向かうその心中はまさしく臨戦体制。そういった気配が雷の間に満ち、肌を刺すようだった。
「あ……大夫の君……? 私なら大丈夫ですから……仮にも雷霆殿は恐れ多き帝の兄上なのだし……」
「帝の兄上だろうと穀潰しは穀潰しですから兄上はお気になさらず」
「「……な……ッ!?」」
 バッサリと切り捨てる有明の君の容赦のなさに、雷霆と夜半の君は共に絶句した。
「あぁそういえば昔、宝物殿から持ち出された『竜の牙』の行方、なにやら穀潰しの雷霆殿はご存じとか……いい加減お返し頂けませんかね?」
 ふと、思い出したように有明の君が言の葉を紡ぐ。しかしながらその紡がれ方は鋭利で、あまつさえ内容に至っては――
「…………お前、そんな情報一体何処で仕入れてンだ!?」
 雷霆を狼狽させるに足るものだった。
「あれ? 『竜の牙』って随分前に紛失したという宝物ですよね? どうして雷霆殿がその行方をご存じなんです?」
 きょとん、とした表情で夜半の君が疑問を口にすると、雷霆はしまったとばかりに軽く口を押さえた。
「? 雷霆殿?」
「いやァさすがは職務熱心な夜半の君! マジメだなァ」
 はッはッはッと笑う雷霆に、夜半の君は胡乱な眼差しを向ける。
「あ〜無駄ですよ兄上。話す気がおありではなさそうですから。ど〜ッしてもお聞きになりたいのなら私が口を割らせて差し上げますよ?」
「……………………じゃっ! オレもう帰るわ! 邪魔したな!!」
「あっ! ちょっと、雷霆殿!?」
 相変わらずにこやかに言霊を繰る有明の君に、雷霆は夜半の君の制止を無視してソソクサと雷の間を後にするのだった――
 
 
 
 
「ふわ……ッあァ……!! つッかれたァア…!!!」
 雷の間を後にしたその足で自らの住処ヘと戻った雷霆は、そのままゴロリと寝床に寝転がる。
「本日のオツトメは……ちぃッと休んでからにすッか……」
 生きた枕の一匹も欲しいトコだが、もう楽園(パラダイス)も営業時間だしな、と一匹ごちると、その言の葉通り雷霆は体を休める眠りの世界へと堕ちてゆき、真夜中を回る頃に再び起き出して宝探しへと向かい、また気が済んだら好きなだけ眠るのだった――


あとがき。というか、説明?
いや、コレ、キリリク企画の小説です。と、それだけが言いたかった(笑)

4321hitのヒダカサツヤさん、ご愁傷さまおめでとうございました。
キリリクのSS、こんな感じです。遅くなってごめんなさい。
差し上げ品ですのでヒダカさんに限り転載可ということで。


転載致しましたよ!
  この話はね、ダラダラと立ち話をしてて、
「雲母の端っこには楽園(パラダイス)っていう歓楽街があるんだよ!」
とか、言ってるうちにどんどん設定ができあがっていった…。
雲母ってほとんどそんな感じですね。